学習意欲が低すぎるエスト(@ESTO_geography)です。なんとか生きてます。
ここ数年マイナス思考がぐるぐるとループを続けているのですが、主たる要因は「勉強をしすぎた」ことの一言に尽きます。
偏差値36で勉強は苦手だったのに無理をしすぎちゃいましたね・・・・。
勉強ができる枠の人生は僕には全く合いませんでした。
勉強はできないよりはできたほうがいいですが、幸せに生きるのであれば嫌いな人は無理に勉強をしなくてもいいのです。
勉強は一生続けなければならない
猛勉強してやっと手に入れた学歴や資格は、取得してからも勉強を続けないと維持できないんだよね。
元々勉強が苦手という人には苦しい。
勉強は大してできない人でもなんだかんだ生きているし、身の丈に合わない努力はしないほうが賢明。— えすと🗺 (@ESTO_geography) May 28, 2019
僕は学生時代は勉強が嫌いでほとんどしませんでしたし、今も勉強が嫌いです。
勉強が嫌いな理由は単純に楽しくない上に、必要だとは思えなかったから。
数学の公式や英単語を覚えるのが苦痛でしたね。成績も良くなかったです。
大学受験は学歴の重要性を感じて勉強はしましたが、大学入学後も勉強から解放されるわけではなく更なる勉強を続けないとならなくなりました。
プライドを満たすために勉強した結果、好きでもない勉強を続けなければ意味がなくなってしまったのです。
勉強はもちろん大切ですが、好きでもない勉強に自分のアイデンティティを見いだすのは不幸になります。
ほんまや。何かを勉強するってことは一生それをやり続けるってことだから、よっぽど好きで努力とも苦とも思わずに毎日やり続けられること以外は、教養程度に抑えとくのが吉。
好きでもないことを安定やプライドのために努力して、中途半端なとこまで高めてしまうのが、1番大変な気がする。 https://t.co/BK8J2R88G3
— なっつん@発達障害&HSP (@nattsu_326) May 28, 2019
学校のお勉強はほどほどにして、本当に自分が好きだと思えることを楽しめたらいい人生といえるんでしょうがね。
努力しすぎて燃え尽きました・・・・・。
勉強できてもそれだけじゃ意味がない
学歴や資格は塩や胡椒みたいなものだと僕は思います。
あれば人生の味付けにはなるけど、それだけじゃお腹がいっぱいになれない。
勉強した実績は確かに社会から信用を得られますし、自分でも努力した実績として自信を持てます。
だけど社会に出ると勉強できるだけじゃ役に立たないです。お金を稼げる能力はお勉強とはイコールにはなりません。
特に必要だと痛感したのはコミュニケーション能力ですね。
やっぱり人と関わっていく上でコミュニケーションが苦手な人は難しいのかなと。
勉強だけできてもコミュニケーション能力が高いという保証にはなりませんし、他に取り柄はなくていいから長友選手やムネリン選手みたいな社交性があれば苦労しないです。
話している相手に価値を付与するようなコミュニケーション術があればいいのですがね。僕も向上を目指しています。
学歴コンプレックスとか本当に無駄
僕は浪人して受けた第一志望の大学を落としているため、学生時代は学歴のコンプレックスはそりゃ甚大でした。
自分は勉強以外なんの取り柄もない人間だと思っていたのに、勉強すらできないんじゃ自分は生きる価値のないゴミだと自己否定ばかりしていました。
ですが自然と学歴コンプレックスはなくなっていきました。悩んでいるのは本当に無駄です。
高学歴の大学卒であれば一流企業に入社でき高収入になれる可能性も高くはなるのですが、もちろん勉強だけしかできない人は就職できません。
学歴にすがっていても虚しいだけなのです。
勉強ができることがむしろ生きづらいという人はそれこそ勉強ができなかったら学歴コンプレックス爆発させるだろうね
— えすと🗺 (@ESTO_geography) May 28, 2019
第一志望を落としたとはいえ一応は有名な大学に進学することができましたが、学歴はあまり役に立たなかったと思います。そう思えるだけでも学ぶことができてよかったのではないかなぁ。
仮にお世辞にも高学歴とはいえない大学に入ってたらうまくいかないことを全て学歴の低さのせいにしていたでしょう。
就職してから20年くらいたっても未だに学歴コンプレックス丸出しのおっさんはたくさん知っています。
高学歴の人を妬み「勉強できても社交性が低い」などとマウンテイングしてくるのです。みっともないですよね。
学歴にコンプレックスを持ってウジウジするのは時間と精神的リソースの無駄。自分ができることに精一杯打ち込むことが大切です。
まとめ:勉強はできないよりできたほうがいいけど、依存しない
才能は個人差があって、残酷すぎるくらい不平等だと僕は思います。
スポーツでも同じ練習をしてうまくなる人もいれば下手なまんまの人もいますよね。
ただ勉強は才能がなくても努力が最も公平に結果に現れると僕は考えています。
なにも取り柄がないのであれば勉強するのが最も賢明でしょう。
ただ「勉強しかできない」人になると、プライドばかりが膨れ上がって失敗を恐れて行動力を削がれたり弊害が大きいのではないでしょうか?
発達障害の人は得手不得手の差が激しい人が多いですが、苦手なことを無理に伸ばさないほうがいいのかなぁと思います。
苦手なことを努力して結果を出してしまうと、その成功体験に囚われてまた努力をし続けなくてはならないのですからね。それが勉強だったらマウンティングしてしまうのは残念すぎます。
苦手なことは「教養」という程度で知識を蓄えて、勉強嫌いだったら無理にしなくてもいいのかな・・・。
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