育ってきた環境から醜形恐怖があるエスト(@ESTO_geography)です。
それにしてもこの世の中理不尽で不条理で残酷ですよね。
ルックスは選ぶことはできないのに、醜いというだけで大きな精神的苦痛を被るのですから。
発達障害の特性による苦しさもありますが、容姿が醜いことの苦しみはそれ以上だと思います。
不細工は本当に自己肯定感がなくなってしまうのですが、不細工な人はどうすれば幸せに生きられるんでしょうか?
目次
発達障害でも容姿によって生きづらさが違うとはマジで思う
発達障害でもコミュ力ある人とコミュ障の人の違いはどう考えても対人関係の経験値だし、第一印象で嫌悪される場数を踏むとそりゃ人も嫌いになるしますますコミュ障になるね〜。
— えすと🗺 (@ESTO_geography) May 14, 2019
だから見た目って大事。
ブサイクの二次障害がコミュ障、鬱だと割とマジで思ってる。— えすと🗺 (@ESTO_geography) May 14, 2019
僕は発達障害でこれまでの人生は苦難の連続でしたが、発達障害そのものよりも容姿の悪さが生きづらさを助長させたと思います。
発達障害でもイケメン美女であれば定型発達でブサイクよりもそちらの方を選ぶくらい、容姿は人生に大きく影響を与えます。
大人になってからだと容姿で被る不利益は少なくなりますが、小学生くらいの子どもは平気でブスやチビ、ハゲなど容姿のことをイジるんですよね。
発達障害の外見的特徴
発達障害は見た目ではわからないといわれていますが、それでも発達障害の外見的特徴はあるという話はよくネットで目にします。
最もよく言われるのは童顔だという点ですね。社会経験の乏しさが外見に表れるのだそうです。僕も実年齢よりは若く思われることが多いです。
また頭頂部が絶壁な人が多いとも言われていますね。僕も断崖のような頭蓋骨。
発達障害は美男美女の傾向があるという話も聞きますが、僕のような例外ももちろんいます。笑
幼少期にブサイクだったら人格形成で歪む
病気や障害があるよりも容姿が醜いほうが生きづらいかなぁ。程度にもよるけど。
育つ環境、周囲からの扱いで明らかにデメリット。人格まで歪む。
少なくとも現代日本では最も不平等で残酷なのは容姿だと思ってる。— えすと🗺 (@ESTO_geography) May 14, 2019
義務教育で他人の容姿に触れることは避ける指導を受けたらいいんじゃないのかなぁと思います。ADHDは本来社交的なのですがシャイで人見知りになるのは鏡見ればわかります、悲しい。。。
見た目を貶されたことで「自分の容姿は人を不快にさせる」という劣等感を植え付けられては、その後の人格形成に大きくマイナスになります。ブサイクなのは仕方ないとして、暗いブサイクはより悲しいですよ。。。
容姿を悪くいうのはもちろんのこと、褒めるのもよくないということを教えられたら日本の容姿差別の意識は低くなるんじゃないでしょうか?イケメン美女も苦労しているとはよく聞きますし。
容姿をイジられた側は傷つくというより、他人の容姿をイジるのはダサい、カッコ悪いということをわかってほしい。。
30年近く生きてきて他人の容姿を批判する人にまともな人がいた記憶がありません。
容姿のコンプレックスは相手に伝わる
容姿に劣等感を持っていると周囲の人はそれを察知してくるから。
他人の容姿を貶す奴はクズなのは当然だが、そのような人間をつけあがらせることになる。— えすと🗺 (@ESTO_geography) May 14, 2019
容姿に劣等感を持っていると視線の動きなどで察知されます。そしてマウンティングされます。
僕も学生の頃は自分の容姿に自信がなかったため、遠回しに顔のことを悪く言われるのが自分でもわかってました。
生まれ持った見た目は整形でもしない限り変わらないので、他人にどう思われても堂々と振舞うことが大切なのだなぁと僕は最近思うのです。
学校のクラスなど一定のコミュニティでブサイクという共通認識が生まれると、個人の美意識も集団の同調圧力によって歪められる気がしてなりません。
髪型やヒゲは整えておきましょう。生まれ持った顔は変えられないぶん、見た目を良くする努力は大切です。
もちろんこれは自戒であり、社会人になったら身嗜みは当然知っておかなければならないことですが、案外抜けている人が多いような気がします。
鼻毛が出ている人がお話をしていると鼻毛のことばかりが気になってお話の内容が覚えられなくなります。
容姿を悪くいう側が100%悪い。自分の軸をぶらさないで!!
容姿は選べません。ですので容姿を悪くいう側が100%悪いです。
生理的に嫌悪感を持つのは仕方がないことだとは思いますが、見た目で人を判断するというのはやっぱり愚かしいですね。
僕は容姿はもとより幼少期の育ってきた環境が恵まれてなかったと思います。もっと分別がある人たちであれば苦労しなかったでしょうね。別に誰も恨んでるわけではありませんが。
発達障害という脳の機能は先天的であっても、箱となる外見が悪いから二次障害で鬱になったと分析しています。
容姿コンプレックスで背伸びをして勉強して、一応結果は出ましたけど燃え尽きました。今思えば大学には行かないほうがよかったでしょうが、大学には行かなかったらそれはそれで後悔していたはずです。
また容姿コンプレックスがあるから努力したというお話をすると「女性にモテたかったの?」と尋ねられますが、恋愛感情という以前に人として受け入れられたかったです。そこまで自己肯定感がありませんでした。
僕が語る容姿の劣等感は「モテたい」といったような恋愛感情を度外視してると思う。
人として受け入れられるためには容姿が大きなハンディキャップになるから、
容姿以外の他の指標で努力しなければならなくなったと思うし、
それが取り越し苦労に終わる悲しさ。— えすと🗺 (@ESTO_geography) May 14, 2019
見た目を悪くいう人には嫌われる勇気を
アドラー心理学によると、ブサイクな顔で対人恐怖症になったのではなく、対人恐怖症を正当化するためにブサイクという解釈をしているということになります。
ブサイクだと自分の顔を悪く言う人がいたとしても、そんな人によって自分の人生をかき乱されることはありません。
相手の侮蔑する感情は自分の意思ではコントロールしきれないですし、容姿のことを悪くいう人間には嫌われてなんぼだと正当化するしかないのかもしれません。
関連記事: 自分の容姿が醜くてつらい・・・。身体醜形障害とその解消法。
関連記事: 発達障害で何やってもダメかも・・?自己肯定感を保つには?