人からは頭が悪いと思われていたほうが気楽なのかな?

頭がいいべき

頭がいいと100万回以上は言われたことがあるエスト(@ESTO_geography)です。

僕は発達障害の過集中の特性を幼少の頃から発揮し、魚や昆虫、天体や地理など限られた分野の知識は豊富であると自負しております。

ただ関心が持てない分野には全くと言っていいほど疎く、一般常識レベルのこともわからなかったりすることがザラにあります。

人から頭がいいと思われていると幅広い知識があると期待されるため、わからない分野のことを振られたときに周囲の人がガッカリさせたことがたくさんあります。

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最初から期待値が高いとむしろ苦しい

育ってきた環境が原因にあると思うのですが、僕はよく人から「頭がいい」や「知識が豊富」というイメージを持たれます。

大人になれば社交辞令やおべっかも多分に含まれているでしょうが、小さい頃は神童のように周囲から思われていて僕自信も自分は天才だと思っていました。

ただ、「その学年にしては」知識が豊富だという程度で、社会人になれば常識レベルの知識を披露して褒められてそう思っていただけでした。

例えばイタリアの首都はローマであるとか、クジラは魚ではなく哺乳類であるとか、大人だったら誰でも知ってるけど小学1年で知っているのは賢いと思えるでしょう?

図鑑や百科事典が家にあり、生物の知識や地理や天体の分野にものすごい関心を持ち、今思えばあれが発達障害の過集中なのですがみんなが驚くほどの知識を蓄えてきました。大人の世界ではそれをオタクと呼びます。

ただ、興味を持った分野は自主的に調べていくので知識がますます豊富になっていくのですが、興味が持てない分野は全く覚えられません。知識として万能ではなかった。

学校の勉強も科目によって得意不得意の差が激しかったです。

偏った部分の知識を披露する、マイナスな表現だとひけらかすたびに次第に周囲から「頭がいい人」と思われるようになってきました。

わかって当たり前。わからないのは恥。

頭がいいと期待されて最もつらかったのは家族間系でした。

難しい勉強をしないと就くことができない職業の就職を強く勧められ、自分の実力に見合ってないとわかってきてからも無理して勉強してメンタルが壊れてしまったのを覚えています。

開業医の子どもは後継者となるため非常に難しい医学部に受からなければならないプレッシャーで苦しんでいるという話を最近はよく聞きますが、僕もそこまでではないにせよ身内の期待に応えなければならない精神的苦痛がありましたね。

有名な大学に入ったのは良かったのですが、同じ大学の人は受験勉強だけでなく「教養」の面で僕より圧倒的に優れていると痛感しました。

僕が入学したのは政治経済学部ですが、ニュースで流れる政治家の発言や問題、各国の政治事情までみんなよく詳しいなと思いましたね。

僕はニュースはどうせ自分に関係ないことだから調べることも自分でどうすればいいか考えた経験が乏しかったです。

そして困ったのは就活のときですね。

当時騒がれていた原発再稼働問題などを面接で尋ねられ、意見を上手く言えず面接官と口論する始末。もちろんその会社は落ちました。

僕が知っていることと、周囲が僕に期待することのギャップが大きすぎると未だに悩んでいます。

実力が伴っていないのに期待値が高いと、それだけ失望も大きくなりますから。

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頭が悪いと思われている方がいいのかな?

学歴で言えば上位10%以内の有名大学卒ですし、世界遺産検定1級のような難易度の高い資格を持っていますが、僕は頭がいいと自分では思ってません。謙遜ではないです、本当にそう思ってます。

人と話していると教養がないと自己嫌悪に陥ることはよくありますし、頭の回転が遅く問題解決能力が低いと自己分析しています。

そしてIQも高くありません。

IQが高くても発達障害に!?生きづらさの原因は言語性IQと動作性IQの差。

小さい頃は利発に思えたようで特に母方の祖母からは「あんたは知能指数が高い。だから勉強しろ」と口うるさく言われていたのですが、頭がいいと思われてなければもっと自由に生きられたと思います。

ま、30近くになって親や祖父母から独立しきってないあたり頭が良くないのは明白ですけどね。

頭が悪いと思われていると周囲も頭が悪い人ばかりになる

中学生までは教養や知識面では同級生に認められていましたが、「優等生」の友達はほとんどいませんでした。

いわゆる奇行が目立ったため、問題児という扱いで学級委員長や生徒会長のような優等生タイプからは付き合いを避けられていました。親御さんも僕みたいなヤツを友達にしたいとは思わないでしょうね。

いつも遊んでいたのは成績ビリ層の人たちです。(このような言い方しちゃってゴメンねm(_ _)m))

彼らはやはり素行面で問題を抱えていて、毎日遅刻する、宿題を出さない、暴力を振るう喧嘩をする、女子の下着を盗むなどなど・・・。ちなみに僕は「宿題を出さない」以外はやっていません。

やっぱりバカだと思われていると周囲もバカで固められて、朱に染まれば赤くなるように僕自身が人間的に成長できてない実感がありました。

先生から出された課題を着実にこなし、生徒会や部活のキャプテンを務め、修羅場を経験しながら責任感を培ってきた優等生とは次第に差が開いてきました。

僕は最近になってメタ認知できるようになりましたが、10代のころからそれができてれば今みたいにはなっていなかったでしょう。

まとめ : しょぼくてもいいから自分が本当に好きになる生き方がベスト

僕は実際の頭の良さではなく「客観的」な頭の良さをこの記事を通して分析してみました。

実体験で頭がいいと思われてものすごく不利益を被ったことから、期待値は下げるほうがいいとは考えていましたが、

頭が悪いと思われているとチャンスが貰えませんね。

会社だったら重要な企画を任せられたり、昇進する機会がなくなってしまいます。

だから優秀だと思われることがまず第一歩。

大きな期待をされたら、そのレベルまで成長する努力をして成果を出せば問題なし。といいたいところですが・・・・・。

その生き方だと失敗した時のリスクも大きく、身の丈に合わないことに挑戦するのは無謀学習性無力感になったら立ち直るのが難しくなります。

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最近思うのは、意識高くなくていいから「しょぼい」ことをすることで満足することができればそれでいいかなぁということ。

しょぼい起業で生きていく

しょぼい起業で生きていく

著者のえらいてんしょうさんは将来は日本を動かすだろうと思えるカリスマ性溢れるお方。

そんな彼が出版した「しょぼい起業で生きて行く」では、ご自身のイベントバーの経営の方法から人脈の集め方、好きなことをして生きる(YouTuberなど)の勧めが書かれていました。

本を読んで思ったのは、これは起業などビジネスに限らず他人にしょぼく思われたって満足して生きられればそれでいいということ。

別に優れていることをマウンティングする必要なんて全くないということです。

好きなことをして生きていれば別に賢く見せる必要もありません。

しょぼい自分を精一杯愛すること。それからが始まりでしょう。

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