努力することにかけては天才であるエスト(@ESTO_geography)です。
僕は小さいころからよく「頭がいい」と褒められてきました。
出身大学を知られると「エリートですね」と褒められることもしばしば。学歴を賞賛されたのはこれまで100回以上あったかなぁ。。。
ですが僕は自分を頭がいいとは思ってませんし、そう思われるのであれば錯覚です。
頭がいいと言われると逆にツラいのですよ。褒め言葉にはなりません。
プレッシャーが重くのしかかると苦しくなってくるのです。「頭がいい」はほんと、呪いの言葉です。
目次
「頭がいい」とよく褒められていたけど・・・・・・・
「頭がいい」と僕は幼少期の頃からよく褒められていました。
図鑑を読むのが好きで雑学の知識が豊富だったため、聡明な子に思えたのでしょう。
それでも学力的な頭の良さは平凡だったとしか言えません。
算数や漢字の書き取りが苦手で0点を取ったこともありますし、中学の頃の定期試験も55人中20〜30位台でとても優秀とはいえませんでした。
よく進学校に入ることができましたし、偏差値60の有名私大に入学することができたもんですね。我ながら信じられないです。
学校の勉強は答えが一つだけなので、頭が良くなくても暗記すれば点を取ることができます。学歴や資格は生まれ持った才能ではなく努力の成果だと僕は考えてます。
勉強ができても「頭が良く」なるわけではない。
勉強は答えが一つだし、暗記すれば解けるようになる。
勉強もできないよりできたほうがいい。
世の中で求められるのは考えて一つだけではない答えを導き出す能力。
勉強ができてもこの能力は身につかない。— えすと (@ESTO_geography) September 16, 2019
ずば抜けて悪いわけでもありませんが、やっぱり僕は学業優秀ではありません。The・凡人です。
それでも「頭がいい」というイメージは常に付きまといました。厄介ですよね。。。
関連記事: 「勉強しかできない」人の5つの特徴!!そんな人はどうすればいい?
「頭がいい」イメージに囚われるようになる
「頭がいい」といわれると、「頭が良くなければならない」というプレッシャーが生まれるように思う。
減点法で評価されていくようだ。
褒め言葉のようでも言われるほうとしてはつらいこともある。— えすと (@ESTO_geography) September 16, 2019
あまりにも優秀といわれるもんだから僕自身が天才だと勘違いしてたのだと思います。
わからないことがあると先生まで僕に尋ねてくる。僕は博識、だからやればできる、と。
勉強は嫌いで提出物はほとんど手をつけた記憶はありませんが、それでも平均程度の成績は取れたのです。
僕は本気を出せばトップの成績を出せる。だけど勉強に価値を見出せないからやらない。
周りの誰もが僕を頭いいと褒めてくれる。僕はすごい。天才的。将来楽しみ。笑
僕が勝手に思い込んだので誰のせいにすることもできませんが、知らないうちにプライドが肥大を続けていったのです。
高校になって勉強についていけなくなっても天才扱いされた頃が忘れられず、頭が良いと信じ続けました。今思うと本当にバカバカしいです。
僕は「頭がいい」のではなく、「頭が良くないとならない」と過信して、結果として身の丈に合わない努力をしてしまったのです。
誰になんと言われても「本質」を見失わないこと
遊ぶのを我慢して勉強したら楽しむことができる感性が失われていった。
つらいのを耐えて取り組む努力も必要だけど、我慢の許容量を超えたら元も子もない。
今後は楽しく生きるから問題ない。— えすと (@ESTO_geography) September 16, 2019
努力はしないよりはしたほうがいいですし、それが勉強だったらなおさら大切です。
ただ僕の場合、身の丈以上に勉強に全力投入してしまい、結果として「勉強ばかりできてもねぇ・・・・・・・・」と批評ばかりされるようになりました。
高卒で就職するか、大学に進学するにしてもFラン大が予定通りの人生だったのでしょうね。
頭が良くないのは薄々わかってたんですが、エリートとして生きる素養を兼ね揃えていなかっため埋没してしまいました。
「本質」を見失っていたんだと今となっては思います。
学歴があれば錯覚資産もあるけど、本質には抗えない
学歴があると頭が良く思われるのは典型的なハロー効果があるからですね。
政治家でも難関大学を卒業したという肩書きがあれば信頼をされて票を獲得できますが、それは学歴というハロー効果があって総合的に優秀に思われるためです。
学歴があると就職に有利に運べるのも同様です。
ただ学歴は勉強しかできなくても手に入れることもできますし、コミュニケーション能力や柔軟性など実社会で必要とされる要素を持ち合わせてるとは必ずしもいえないのです。
勉強しかできないコミュ障はどっちみち面接で落とされます。
学歴はあるに越したことはないですが、どうせなら勉強以外の要素を磨いておいたほうが苦労しなかったでしょうね。
本質を受け入れる勇気を持たないと損する
頭がよくないことを受け入れられず、プライドが高い完璧主義に陥って空回りしてしまいました。
本質は頭が良くないのですが、本質を見失った結果勉強をしすぎて鬱になったのです。
たいして勉強ができなくても世の中生きていけますし、勉強なんて無理してすることもなかったのでしょう。
少なくとも「本気で努力した」経験は残りましたし、その成果も得ることができました。
努力しなかったら今更嘆いていたでしょうね。だから勉強したことは後悔していません。産みの苦しみがあったからこそ価値を実感しています。
ただ僕の失敗経験から、高い理想やプライドを持って本質を見失ったら不幸になるということを伝えたいのです。
あなたのしている努力はもしかしたら本質を見失った努力かもしれないですよ。
関連記事: 勉強が好きじゃない人が無理して努力すると不幸になる理由
関連記事: 勉強を強制させられて幸せになれないこんな世の中ポイズン!!