当ブログ「えすとだぶるえいち」を運営しているエストです。
だぶるえいち(WH)はWorld heritage(世界遺産)という意味です。このブログ名は僕が世界遺産に興味があるから。単純な理由ですね(笑)
当ブログは発達障害(エスト自身当事者)についてのライフハックや見えずらい障害である精神疾患についての啓蒙、教育について思ったことや考えたことをメインに発信をしていきます。
僕自身が見たり聞いたり経験したことを、同じ障害や病気で「生きづらさ」を抱えている人の役に立てたいという気持ちでブログを運営していきたいですね。
そんな発達障害地理ブロガーである僕の自己紹介をします。
目次
エストとは何者?
1989年生まれ、福島県のとある小さな田舎町出身。
Twitterアカウントは(@ESTO_geography)です。よかったらフォローしてね!!
私立大学(MARCHの大学群です)卒業後は3社のIT企業に勤務するも、いずれも働き方についていけず遂にうつ病を発症・・・・・・。
2018年4月より実家の自営業を手伝うことになりました。
エストのこれまでの生い立ち
物心ついた頃から字を覚えるのが早かったり、年齢の割には絵をうまくかけたのでよく褒められていたとは思います。
ただ保育園や幼稚園では「変な顔」だと言われていじめられていたので友達はいませんでした。
誰だって自分のルックスを選べるわけじゃないのに、こんな理不尽な仕打ちを受けるなんて前世でどんな悪いことをしたのでしょうかね。
顔が悪くなかったら・・・・・・と思うことは未だにありますが、だからこそ勉強で努力できたという側面もあるので結果オーライです。
先天的な発達障害もありますが、現在の社会適応の難しさはこのころから既にビルドインされていたように思います。
一応天才だったかもしれないけどそれ以上に変人な小学生時代
小学校低学年の頃はテストはいつも100点でした。漢字や計算もスラスラ覚えていました。
小学校のテストはあまり頭がよくなくても100点をとれる仕組みにはなってますが(笑)、私は特別注目されていたと思います。
1年生のときの担任の先生に才能(!?)を見込まれて、地区の作文大会に出場することになりました。
とはいっても先生の書いた文章をそのまま写す作業でしたが。結果は入選といった程度で。
そしてこの担任のK先生が体育会系でめちゃ怖い人でした。
僕はどうも注意力散漫で人の話に集中して聞くことができなかったのですが、そのことが常にK先生の癪に触ったみたいで「おい!エスト!!今の俺の話聞いてたか!?」と授業中もしょっちゅう怒鳴られました。殴られることもありました。それが毎日です。。
勉強はできるんだけどどうも協調性がない、行動面に問題があり。。
授業態度が悪く、宿題も出さない・・。
歴代の担任の先生はみんなそう思っていたでしょう。
学年が上がるにつれて友達も増えていきますが、6年生になってから大きな亀裂が生まれました。
きっかけはよくわからないですが、攻撃的な言葉をかけられる、それにたいして僕も激しくちょっかいを出すようになる。
よくある子どものケンカです。
しかしケンカもエスカレートしていき、校長教頭含む学校中の問題にまで発展しました。
僕の行動が目にあまり、カウンセラーの先生とお話をすることになりました。学校では問題を解決できないので外部に丸投げしたんですね。
「Y中学(地元にある本来通うはずだった中学)に通ったら絶対いじめられますよ。冗談抜きで殺されるかもしれない。絶対に行かせないでください」と僕の父親に請願してきました。Y中学は地元で有名なヤンキー中学だったのですから。。
そういうわけで隣の学区のI中学へ入学します。
僕にも落ち度があったことは認めますがこのときの忖度が今思い出しても納得がいってなく、未だに学校や教師には強い不信感を抱いています。
不登校が許されたら苦労しなかったでしょうが、それはそれで想像するのが怖いです。。。
剣道しかやらなかった中学時代

人間関係もゼロから再出発の中学生活は、滑り出しは順調でした。
以前もあったように「顔が悪い」と言われて拒絶されることもありましたが、学年が上がるごとにみんな丸くなっていきました。
1年生の時は釣りにはまっていました。魚の図鑑を食い入るように読んで魚の知識を蓄えていました。
ここで己の傲慢さが仇となった事件がありました。
学習旅行で水族館に行ったのですが、僕はレクリエーション担当でクイズを出題する係りでした。
その問題が一般人では絶対わからない非常にマニアックな魚の知識でした。
当然みんな答えられません。こいつらバカだなぁと思いました。(バカなのはもちろん僕なのですけどね、もちろん反省しています)。
後日、学習旅行の反省文で「うちのクラスはバカで頭が悪い」という趣旨のことを書いたことで親を呼び出されました。
天狗になってましたねぇ、いまは鼻をへし折られましたがw
中学では剣道部に入りました。中学時代はほぼ剣道しかやっていません。
しかし下手でした(笑)
どれくらい下手かというと、合格率9割の1級の審査を落としたぐらいです。
試合でもなかなか勝てませんでした。
初めて勝てたのが3年生の引退試合のとき。
競技実績はボロボロでしたが、それでも努力したとは思います。
学業の方も相変わらず勉強はしませんでしたが、中の上の成績を取れていました。
中3になると受験生だというのに、部活引退した開放感から近所を自転車でサイクリングするのが日課となっていました。
特に憧れていた高校はありませんでしたが、偏差値から考えて妥当なK高校をひとまず志望校に決めていました。
志望校が進学校であるにもかかわらず勉強しないことから、冬になったら担任から厳しい叱責をくらいました。
勉強を差し置いてゲームやってましたからね、ちょうどドラクエ8の時期でしたし。
勉強はしませんでしたが、進学校のK高校に合格しました。
思えばここが人生のピークでしたね。
優等生ばかりで完全に孤立した高校時代
中堅進学校に進学しましたが、同じ中学の人がおらずしかも家から遠い・・・・・。
楽しい青春が待っているんだと期待に胸を膨らませていましたが、現実は厳しかったです。
しばらくすると友達のグループができ始めるのですが、僕はどこのグループにも入れませんでした。
だからお昼ご飯はいつも一人。
少し仲良くなった男の子がいましたが、彼は顔がよくてよく女の子から話かけられていました。
二人でいる時も、彼にばかり話しかけられるのです。
これは悔しかった。。。
まぁ当時の私は髪の毛がボサボサでヒゲも伸ばしっぱなしの清潔感ゼロでしたので、そりゃそうなりますよね。天パーはつらいものでした。
将来はPC関係の仕事に就きたいと思い、電子工学が学べる大学を志望し工学部を志望しました。当時は職業名を知りませんでしたがSEを目指していたのです。
しかし中学までは勉強しなくてもいい成績は取れましたが、高校からはまったくついていけませんでした。
偏差値はどれも50以下・・、理系なのに物理や化学は30台という悲惨なものでした。
特に行きたいと決めている大学はなかったのですが、高校2年のある日、「自分は難関有名大学に入らなければならない」という気持ちが発生してきました。
それ以来勉強はするようになりましたが、既に遅かったのかなかなか成績が上がりません。
ただ地理だけはできました。小さい頃から地図を眺めることが好きで知識を自然に蓄えて行ったので、地理の偏差値は70を超えてました。
そのため思いました。
「このまま理系じゃ三流大学にしかいけないけど、地理が選択科目にある文系学部だったら難関大学に入れるかもしれない」
これが高校3年、9月でした。
文転して有名私立大学を受けましたがあわや撃沈。地理だけでなく、英語や国語もできないと受かりませんでした。
これで浪人をすることになります。
ちなみに高校の部活動は一応入りましたが、人間関係&競技についていくのが難しいので一ヶ月で辞めました。
浪人、そして抜け殻になった大学時代
浪人してから上京して予備校に通いました。
ここでも友達はできませんでしたね。でも馴れ合いをせず孤独を経験できたのは今思えばよい経験だったかな?
予備校ではこれまでしてこなかったぶんを取り戻すため一生懸命努力しました。
ただ効率が悪いのか、頭が悪いのか、なかなか偏差値は上がりません。高校生のころまでの成績を考えると客観的には偏差値は伸びたとはいえますが、僕にはあまり成長した実感がありませんでした。
結果として第一志望の大学は落ち、第二志望の進学することになりました。
第二志望の大学も世間では名門、高学歴と言われてるので高校時代の目標は一応叶ったと言えます。
ただ、大学生活がつまらなかった。

すでに友達の作り方がわからなくなっていました。
サークルに入ったけど気質が合わなくて辞めたり、アルバイトも滅茶苦茶ダメ出しされて鬱になりました。
アルバイトは複数経験しましたが、一番記憶に残ってるのは塾講師です。
教え方といい、電話の受け答えといい、あまりにもひどいと他の人の前で公開処刑されました。
ゼミで友達と呼べるような人はいたけど、「一緒に飲もうぜウェーイ!」みたいな付き合いはなかった。
結局は怠惰な4年間だったと思います。
進路はとくにやりたいことがなかったため、祖母の勧めで公務員を一応は目指していました。。
「あんたみたいな社会性がない人はどこの会社に行っても無理だから、安定している公務員になりなさい」と。
公務員を目指してみたものの、志望動機がどうしても浮かんできません。
ゼミの面接で「公務員を目指すのは安定していて楽だからです」と答えて大笑いされたことがあります。
モチベーションが低いまま東京特別区、国家一般職、都道府県の公務員試験は受けましたが筆記で落ちました。
しかたなく民間企業を就活しましたがどこも内定は貰えず、そのまま大学を卒業する羽目に・・・・・・。
高校のころの目標を曲げずにFランでも理系の大学にいけばこんなことにはならなかったであろうし、チキンレースで崖から思いっきり飛び落ちたような気分でしたね。
そして、自分の限界を知った社会人
内定ないまま卒業した後は、実家で公務員試験の浪人をしていました。
しかしまた落ちました。公務員に対する熱意なんてもってないですからそりゃ当然です。
その年の夏、障害のある人や働くのが困難な人を入社させる会社の求人を見て、この会社だったら入れるかもと思い応募しました。
そして面接を経て入社しました。
ですがこの会社はIT企業で、文系育ちの僕にはついていけない技術的な知識がありました。文系でもIT業界で活躍している人はたくさんいるので、文理は関係なくそもそもIT業界への適性がなかったのだとは思ってます。
ITの資格も取得はしましたが、それよりも働き方についていけなくストレスでした。
最初に派遣されたサーバ運用の会社では入社前から恐れていた電話応対と接客の業務がありました。
発達障害の特性もあり、大学生のバイト時代から接客にはものすごい苦手意識がありましたが案の定頭が真っ白になって会話が困難となってしまい3ヶ月で現場を切られます。
その後は短期で複数の案件の仕事を転々と担当していました。
小さい案件でリーダーを任されることもありましたが、最後はアルバイトに毛が生えた作業に回されたたため、ここにいても成長にならないと思い一年で辞めることにしました。
このころwebデザイナー目指して専門学校に入りましたが、デザイナーは自分にとって無理がある仕事だと薄々感じていました。
専門学校の学生という名のニートを半年やった後、2社目の会社に入ります。
この企業もIT系ですが、やはり技術的な知識不足が露見となりました。ろくにIT業務の経験を積んでなかったから当然ですが。
長期の案件も外されるようになり、そのタイミングで自分が発達障害であることを社長に向けてオープンにしました。
そうなったら入社時に「疾病を持っていない」の項目にサインしたのが虚偽になると、もうあなたとは契約を結べないとして事実上の解雇となりました。
この会社辞めた後はITではない企画職の転職を考えていましたが、求人サイトからスカウトメールが来た会社にとりあえず面接だけでも受けてみようかという気持ちで応募したら、面接一回で内定がもらえました。
僕としては3社目となりますね。
しかしやはり1社目、2社目と同じトラブルが起こるようになります。
あまりの自分の無能さにうつ病になり、休職となりました。
その後職場復帰したのはいいのですが、客先面談がうまくいかず20社も断られ続けると鬱が悪化し、会社の判断でまた休職をもらいました。
3社を経験して思ったのは、僕はとにかくサラリーマンが向いてないなということです。
今後は病気の静養を兼ねて福島に戻りますが、得意なことはあるのでそれを社会に還元できる仕事ができるように模索中です。
僕ができることを世の中に発信していきたい、好きなことを仕事にしていきたい。
発達障害について

サラリーマン編でもちょっと触れましたが、僕は発達障害のADHDです。
この障害と診断されたのは小学6年生のときでした。
手に菌が付いているんじゃないかと気になって手を洗ってばかりいたり、同級生とケンカすることが目に余ったようで精神科の診察を受けました。
そしてADHDとの診断を受けました。
リタリンという薬を飲みながら治療を受けていましたが、中学2年で通院をやめてしまいます。
治療を受けている意味を感じなかったのと、僕が障害者であることを受け入れたくなかったからです。
長年「健常者」として進学、そして就職をしてきましたがやはり無理があったようで今後は障害をオープンにしていきたいですね。
診断されたのはADHDですが、ASDも併発していると思います。むしろASDの傾向の方が強いです。
発達障害にもいろいろな特徴がありますが、僕の場合は興味ないことにはどうしても集中できない、座っていると病的に眠気に襲われる、嫌な記憶が頻繁にフラッシュバックする。。
この3つが深刻です。今も悩まされてます。
しかもたちが悪いことに二次障害のうつ病とのダブルパンチです。これじゃ一般社会で働くのは難しいでしょう。
ですが興味があることにはものすごい集中力を発揮できるという長所もあるんですよ。過集中というやつです。
幼少の頃から地理には強い関心があり、地理で全国模試1位を取ったことがあります。
好きな分野に関しては常人以上に知識があり、理解が早いのですよ。
この過集中を仕事とうまくマッチングできれば社会に還元できると思うんですが、やっぱり難しいですね。
2018年10月現在はストラテラとコンサータを服用し、だいぶ頭の中は静かになったように思います。
いまだうつ病の症状は治らないため、発達障害と同時並行でうつ病の治療にも励んでいます。
僕がブログで伝えたいこと
僕は発達障害の当事者として、自分の抱えている苦しみや長所を世の中に伝えていきたいと考えています。
日本では発達障害の理解はまだ進んでいません。一見すると健常者と変わらないため、やればできるのにやらない人と誤解されて苦しんでいる人もたくさんいます。
僕は発達障害の理解を世の中に広めるメッセンジャーになりたいですし、自分の人生を通しておなじ発達障害を抱えている人に希望を与えられるような人になりたいです。
また興味のある旅行や世界遺産、地理に関しても知識と体験をもとに伝えていきたいですね。
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